ギャル・ギャル男がカンボジアに小学校と診療所を建てた!
ボランティアに全く関心のなかった若者は、そこで何を見つけたのか?
海外学生ボランティアを舞台に、現代日本の若者にとっての「生きがい」に迫る。
3年間に渡って密着取材した、学生医療支援NGO~GRAHISの真実の物語。
ナレーション:高良健吾
予告編
高良健吾インタビュー
ギャル・ギャル男がカンボジアに小学校と診療所を建てた!
ボランティアに全く関心のなかった若者は、そこで何を見つけたのか?
海外学生ボランティアを舞台に、現代日本の若者にとっての「生きがい」に迫る。
3年間に渡って密着取材した、学生医療支援NGO~GRAHISの真実の物語。
ナレーション:高良健吾
予告編
高良健吾インタビュー
最近、地方に泊まりがけでロケに行く。
今月は、山形と鳥取に行った。
高齢者福祉施設で働く人に、朝から晩まで「密着」して撮影する。
自分はそういった施設を、これまでに数回しか尋ねたことがない。
なので、福祉の仕事をしている人をほとんど知らなかった。
そんな自分が、これまでに取材させていただいて驚いたのは、
「考えるのは自分のことだけ、とりあえず楽しときたい」みたいな雰囲気の人がいない、ということ。
そして、
「効率」とか「競合」とか「費用対効果」とか、そんなことだけに囚われている人もいない、ということだ。
しかも、非常に高い責任感を持ち、熱心でいて楽しく仕事に取り組んでいる人も多く見受けられる。
なにもそこまでやらずとも…でも、そこまでやってくれたら感激だな…
失礼ながら、金銭的にはそんなことまで求められるほどではないかもしれないのに…ありがたいだろうな…
そう思うことがあった。
そんな人をファインダー越しに見つめていると、その姿はさながら「金八先生」のように見えてくる。
私は、そこに仕事というものの本質を垣間見る。
仕事とは、喜ばれるもの。嫌な気分にさせるものではない。
仕事とは、楽しいもの。辛いことはもちろんあるけれど。
仕事とは、自分が決めるもの。条件で決められるものではない。
こんな綺麗事と、そうは言っても…な現実を行き来することが、自分にとってのリアルである。
先日、弊社のエース社員、Mが結婚式を挙げた。
挙式、そして披露宴に主賓として招かれた。
とってもとっても良い式だった。


自分が起こした会社で、ずっと働いてきてくれた若者が家庭をもつ。
その門出に、社長として立ちあわせて頂く。
そんなことが自分の人生にあろうと想定はしていなかった。
本当にありがたい事だ。
それにしても…
社員を雇うということの責任。
会社の業績は、自分の家族だけでなく社員の家庭にも及ぶ。
当たり前のことだ。
でもそんな当たり前のことを、結婚式でえらそうにスピーチをさせてもらったりなんかすると、
より一層強く感じることができる。
責任の重さ、それはやりがいの大きさに比例する。
40を過ぎて、ようやく少し大人になれた気がした。
ともあれ、ふたりとも、お幸せに!

2011年10月24日、自分の会社が5周年を迎えることができた。
もしかしたら取引先をお招きし盛大なパーティを行うべきなのかもしれなかったのだが、スタッフと自社製作のドキュメンタリー映画の主人公と男4人で、ささやかな飲み会を開いた。
創業後1年以内に潰れる会社30%。10年続く会社が25%というのが日本での創業の現状のようだ。
起業家たちの歩みより。
事業計画も、資金も、顧客も何もない中、行きあたりばったりに起業したのが2006年10月24日。
この時は、インキュベート施設であるIID世田谷ものづくり学校という廃校になった中学校の教室を間仕切りしたスペースで、たった一人だった。
大学卒業以来、志していた「ドキュメンタリー番組を作る」という夢を追いかけ、テレビ番組制作の世界に12年。
その夢を諦め、嫁と乳児を抱えてどうやって生きていけばいいのか分からない中での起業だった。
テレビ番組の制作現場しか知らない。営業も経営も全く経験がない。
そんな自分でもなんとか5年間生き延びることができた。
しかしだからといって、同じように次の5年を生き延びれるとは思えない。
5年、10年、15年、20年を生き延びるために何をすべきか?
普遍化、組織化、専門化、垂直統合化、がキーワードになると思う。
これからもなんとしてでも生き延びよう。
今、マレーシアのボルネオ島にいる。
ある企業の広報映像の制作のためだ。
マレーシアには今から20年ぐらいまえに来たことがある。
今回の訪問で感じるのは、世界は以前よりはるかに均一化していることだ。
昨日はクアラルンプールに宿泊した。
20年前にこの地を訪ねた時も、街中を日本車が走っていた。
でもそれは、日本で見るものより極端にボロかったり古い型だったりして、なにかしらそこには違いのようなものがあるようにも感じた。
しかし、今では、プリウスもインサイトも東京とおなじように走っている。
街中はアルマーニやナイキの広告で溢れ、JUSCOやイオンで若者が深夜まで買い物を楽しんでいる。
空港では多くの人がiPadを操作して、Facebookを利用していた。
そんなFacebookで検索すれば、自分と興味が同じマレーシア人をすぐに見つけることができ、場合によっては短い滞在時間を利用して情報交換することもできそうだ。
世界中で「共通」なことが増えている。
理屈では分かっていても、東京では実感できないことだと思う。
そんな流れは、これからも加速し続けるだろう。
そんな時代に、日本に留まっている理由は何もない。
どこであれ、仕事を生み出すチャンスがあればさっさと出かけて行くべきだと思う。
クアラルンプールであれば、東京と何ら変わらず暮らしていけると思うし、むしろ英語に接する機会の多さや多民族からなる多様性を感じられて子育てにはこちらのほうが良いのではないかとさえ思う。
先日、英語のHPを公開したところ、さっそくアメリカの企業から依頼があり、受注となった。
今後もこの動きを加速させて行こうと思う。
昨日、あるウェブ制作会社の社長さんと打合せを行った。
現在、自社サイトのリニューアルをお願いしており、そのためのヒアリングで、これで4回目ぐらいだと思う。
先日、あるお客さんと打ち上げを行った。
その会社では「中堅」と呼ばれそうな、弊社に発注を下さった30代の社員さんお2人とご飯を食べながら話して、いろいろ感じたことがある。
まず、そのお客さんの会社だが、業界でも名の通ったクリエイティブ系の業務をされていて、従業員は50名以下、売上規模は10億円以下という企業である。
社員さんは2名。入社して5〜6年ほどが経っている、もしくは同等の経験があるという感じである。
で、伺ったお話とは…
1)ものすごく働いている。
土日も働く。
この時の打ち上げの後も会社に戻って、もしかしたらそのまま泊まりこむかもしれないという。
1年中そんな感じらしい。
それでも「楽しい」「やりがいがある」と言って、あまり気にしていない。
奥さんも理解してくださっているそうだ。
2)自己裁量、自己責任で仕事をしている。
仕事は上司から与えられるのではなく、お客さんから直接もらう。
自分で仕事を取ってこれない人はいつまでも暇で、やがて辞めていくそうだ。
自分のお客さんだから、責任は全て自分で取る。だからやりがいも大きく頑張れる。
当たり前のことが当たり前に行われている。
3)社員どうしの給料はおおよそ分かる制度になっている。
基本給や、職給、報奨などの基準が明確になっており、社員の給与は全員、だいたいこれぐらいだろうという目星がつくようになっているという。
また上司の感情に左右される査定はないようだ。
4)上司を尊敬し、後輩を認めている
仕事の質を維持するという意識が社内に溢れており、「自分もやってやる」という空気がある。先輩の仕事は確かに一目置くものとなっており、上に行けば行くほど楽をするという人が少ない。
5)従業員どうしで、会社の経営について話している
深夜に休憩してコーヒーを飲んだり、夜食を食べている時に、ふとそんな話題になっていることが多いらしい。
6)社長をすごいと言える
なんだかんだ言っても、社長はすごいと思っている。
という訳でこの会社は、不況と呼ばれる昨今、こなしけれないほどの仕事があり、断らざるを得ないという状況が続いているそうだ。
ふむふむ。
昔、テレビ番組制作会社に勤めていた時、社長が忘年会で「イイ番組を作るためには、イイ人間にならなければ無理だ。」という話をしていたことを、なぜかよく覚えている。
結局、仕事や会社というのは、そこに携わった人間の器以上のものにはならない。
だから、自分の会社や仕事を見れば、自分のレベルがはっきりと分かる。
改めて、自分の会社と仕事を見てみると…
ふむふむ。
「なせば為る 成さねば為らぬ 何事も」
「成らぬは人の なさぬなりけり」
上杉鷹山
今日、知り合いの医療関係者と話した。
「しょうがないんです」
という言葉が多かったような気がする。
医療の現場も、原子力発電所の安全対策と同じような、官僚主義、事なかれ主義、コスト無視、無責任体質が蔓延しているようだ。
それはたしかに「しょうがない」。
でも、「しょうがない」は元気を奪う言葉だ。
そして、今ほどこの言葉を聞く機会が多いことはないような気がする。
「しょうがない」。
福島でも、東京でも。
でも、できれば重ねて使いたい。
「しょうがない」と言っても「しょうがない」。
先日、ある企業の採用ビデオを納品した。
とても思い出に残る制作だった。
なぜならこれまでに500本作った中で、最も撮影がやりやすかったからだ。
採用ビデオの制作でキーとなるのは、撮影だ。
文章と違って、映像は撮れたものからしか作れないからだ。
弊社の場合ドキュメンタリーを標榜し、普段の仕事をそのまま撮影するスタイルなので、時に撮影は業務の支障となる。
「特に自分の得になるわけでなし…」
「別にそこまでやらなくても」
「そんなことに許可を出してあとから怒られるのは嫌だし」
という風に思われてしまうことは、まあ、仕方ないことである。
そんな状況であっても、自分が必要だと思うものをいかに撮るのか?というのも確かに腕の見せ所ではある。
しかし、そんなことを考えなくて良ければそれに越したことはない。
会社というのは、やはりそこにいる社員の方々どおしの人間関係がベースにあって動いている訳で、
担当して頂いた方がそんな人間関係を持っていらっしゃるかどうかが現場を大きく左右する。
今回は、そんな方が先頭に立って撮影の段取りや手配を行って下さったので、撮影が非常にスムーズに行なえた。
その結果、
「自然な感じがする」
「人間味がある」
「ありのままの会社の雰囲気が描かれている」
とご感想をいただけるほど、お客様にご満足いただけた。
ありがたや。ありがたや。
納品させて頂いたビデオが、学生と企業のより良いマッチングに役立てれば、とっても幸せだ。
先日、あるお客さまのところに納品に伺った。
納品は、できるだけお客さまに直接手渡しをする。
これまでの制作に関しての感想を直接伺うことができる貴重な機会となるからだ。
今回はその中で、我々のような仕事の進め方が「初めてだった」とのお話を頂けた。
広告代理業で映像制作の実績も豊富なお客さまだが、曰く、これまでの制作会社は「台本はいただけますか?」「この部分はどうしますか?」と聞いてくることが多く、そんなものかと思っておられたそうだ。
一方で、我々は、わざわざ台本を提供すると言っているのにそれを断り、構成も撮影も自分達でやる…まるで「内容に手出しするな」的な態度のようだったそうだ。
ならば…と任せてみたら、結果に満足できたので、よかったとのお褒めの言葉だった。
当たり前のことが、当たり前にできていない世界がここにもあった。
オペレーションは楽だ。
クリエーションは大変だ。
でも、そこが仕事の分かれ道。
多くの人達が、オペレーションで済ませようとする。
楽でリスクが少ないからだ。
でも、そんな態度はやがて大きなリスクとなる。
一方で、クリエーションもまたリスクだ。
今回はご満頂けたので良かったが、満足にもいろんな度合いがある。
気に入っていただいて2度目、3度目と発注が続くと、今度はお客様の期待値がどんどん上がる。
しかしながら、期待値と同じように、予算が上がることはない。
そんな中、収支は悪化し、結果も残せない、そんな負のスパイラルに陥るリスクがあるのだ。
それをどう乗り越えるのか?
仕組み?
計画?
確かに。
でも最後の最後は、やっぱり「根性」だと思う。
お客さまが満足していないという状況を制作者としてどうを受け入れるのかという挟持、あともう少し歯を食いしばる根性があるかということである。
40を過ぎて、そんな根性をどこまで持てるのか?
死ぬまで持つべきなのだろう。
先日、ある先進的な試みで知られる医療法人を訪ねた。
この訪問は、自分にとっては大きな一歩となる。
これまで主に採用ビデオの分野で、「頼まれて」映像を作ってきた。
「頼まれて作る」ということは、知らない世界にガイド付きで連れて行ってもらえるということだ。自分の考えで動いていただけでは決して得られないであろう貴重な機会を数多くいただいた。
そして、頼まれた人に満足してもらって代金を頂くことは、社会の中で自分が役割を果たせたようで、大きな喜びとなった。
そんなことで創業以来5年間で少しづつ貯めた自信と知見を元に、もっと積極的に「頼まれたい」と思うようになった。
これまでは「頼みたい人」が我々を探して下さった。
しかしこれからは、我々からも「頼まれるべき人」を探していきたいと思う。今度は我々が依頼人を知らない世界へガイドするのだ。
その記念すべき第一歩がこの訪問だっだ。
前々からその医療法人の理事長のご活躍について、いろんな方々からお話を伺っていたのだが、書籍の出版を機にますます興味が湧き、講演を聴いて、その思いは確信となった。
もちろん「いらない」と言われるかもしれない。
でも、そう言われても構わない。
失敗して恥をかきながら、続けていくつもりだ。
「頼まれるべき人」に頼りにされる喜びを、まずは経験したいと思う。新しい旅が始まった。
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