考察

2009年9月23日 (水)

「ドキュメンタリー風」って??

今年も採用映像のシーズンがやって来た。
おかげさまで、こんなご時世だがすでに結構なご発注を頂いている。
ありがたいことだ。感謝感謝!

しかし、ちょっと気になることもある。

最近多いご相談が「密着風に」「ドキュメンタリー風に」「情熱大陸風に」というもの。

自分でも、ちょっと本家本元に遠慮してそう言ってしまうことがあり、嫌な気分になる。

言っておくが、それを手法として採用してはいるが、真似ているつもりはない。

単に真似ようとすれば、結果は無惨だろう。

繰り返しになるが、手法が同じなのだ。


違いは、2つある。

番組を背負っているか否か?

お金を出しているのが誰か?

もし、単にこの2つの違い故に○○風と言われているのならば、それは悔しすぎることだ。


昔、手作り風餃子とか手作り風クッキーとかの商品名を見て、手作り風って何だろうと考えたことがあった。

私はこう考える。

おそらく、このコピーを採用した人は、「手作りはすばらしい、売れる」と考えており、でも「それだけの手間はかけられない、かけていない」という事情もあって、例えば、生地を練るのは機械だが包んだり型を抜くのは手でやっているということだから、手作り風というネーミングは「嘘じゃないだろう」ということに落ち着き、「手作り風」を採用した…と。

しかし、消費者にはこのような印象を知らず知らずのうちに持たせているのではないだろうか?

1)自分の仕事に対する誇りはなさそうだな。
2)製造法に言い訳があるようだな。
3)商品を嘘じゃなくうまく売り込もうという魂胆がありそうだな。

 

なので、この手作り風クッキーを作っている職人さんがどれほど徹夜しようと創意工夫しようと、消費者がそのようなストーリーを感じとってくれる事はない。

「手作り風なんでしょ。安くてそこそこうまければ良いよ」とダンピング価格で売られ、買ってくれた人の記憶にも残らず、消えていく。

そんな状態でいいのか?

○○風なんて言われる商品を作っている小さな会社に未来はない。

できる限り早くそんな状況からは脱出すべきである。

2009年6月16日 (火)

映像を作るという生業について考えてみた

映像を作るということを仕事にするというのはどういうことなのか?
最近そんなことを時々考える。
それは、自主映画を志す20代の人がよく会社を尋ねてくることと、現在読んでいる
「ドキュエンタリー映画の地平」という佐藤真氏の著作の影響である。

自分は大学在学中にテレビ番組制作を仕事にすることを決めた。
なぜ、テレビ番組制作を志したのかというと

1)海外旅行が好きで、旅に行けて、そこで感じたことを形にして発表したかったから。
2)新世界紀行やNHKスペシャルを夢中になって見ていたから。
3)映画よりテレビの方が仕事にするための道筋が分かり易く、給料もちゃんと貰えそうだったから。

の3つぐらいの理由だったと思う。

テレビ番組制作会社に入社して、ADを3年ほどしてからディレクターをやらせてもらい、5年後に独立してフリーランスになった。
結局10年以上に渡ってテレビ番組制作の現場にいたが、入社当初に考えていたことは、私の力不足故にほとんど実現できなかった。
入社当初に考えていたこととは、例えばこんな感じだ。

「星野道夫の世界を映像化したい」
「宮本常一の生涯を2時間の特番にしたい」
「インドネシアのラマネラ島のクジラ漁を撮影したい」

自己実現しか考えていないバカ者なので、上司達は煙たかったと思う。

そんな私は、来るべき未来を夢見て、目の前の「なんだかな〜」と思う番組を一生懸命作っていた。

「なんだかな〜」の中にも、クリアしなければ仕事として成立しないポイントはたくさんあるし、「なんだかな〜」をクリアして得た評価以外に来るべき未来をもたらすものはない。

そんなことで、どんどん近視になって、やがて志を忘れて行くというのが、一般的なテレビマンの生き方なのかもしれない。

一方で、「ドキュエンタリー映画の地平」に登場するドキュメンタリー作家達は
「己の価値観」のみを頼りに、しがらみは極力排除し作品作りに没頭する。
彼らの辞書に、「効率」「能率」などという言葉散在しない。
多くの者が、赤貧に耐え、時に精神を病み、世間的には無名のままであっても作品を残す。

たとえどんなに他人に迷惑をかけ恨みやしこりを残そうと、たとえほんの一部のマニアしか知られていない存在であろうと、10年、20年、時に90年と見られ続ける作品を残すのがドキュメンタリー映画監督である。

一方で、テレビという許認可事業の枠の中で、様々なしがらみと戦いながら、少しでも自分の作品にしようとあがき、一度、あるいは数回放送されるとその後は何も残せないテレビディレクターたち。

それは、「作家としての主体性の在り方」の問題でもあるし、単に「商品としての流通経路の違い」であるのかもしれない。

インターネットの登場で、社会が「効果検証」「投資効率」に大きく舵を切っている中、これまでは不可能だった全く新しい形態で映像を仕事にする方法があるように感じる。

だからこそ、これから映像を仕事にするなら、様々な手法、論理、思考、行動を実践し血肉化しないと生き残れないと断言できる。

不惑を前にしたおっさんもしかり。

という訳で、これまでの私のテレビマンとしての得たものを振り返りつつ、新しい姿を見つけるべく、映像制作に関する講座を行うことにした。

ぜひ、ご参加頂ければ、幸いである。

2009年6月 9日 (火)

採用ビデオにおける紋切り型な映像の有効性について

6月になり、2011年に向けての新卒採用市場が動き始めている。

私の会社では、採用ビデオの制作依頼を頂く事が多い。

採用ビデオは会社説明会での上映するというのが主な用途であり、社外に出したくないものが写りこむことも多いため、納品はDVDで行う事が多い。

一方で、就職情報サイトや、自社のWebサイトの採用ページに掲載するケースも増えている。そこで例えば、YouTubeにどれくらいアップされているのかが気になり、「新卒採用」「会社説明会」などで検索してみた。

検索結果からみられる傾向は

1)零細企業が
2)インタビューや社長の講演を
3)社内で制作する

ものが多く、内容的には失礼ながらここで語る程のことはない。

そんな中、こちらの会社の採用ビデオは、広告的手法や音楽PVの手法を取り入れ、面白い。

【新卒採用】新入社員の一問一答

【新卒採用】スーパーエディション的オフの過ごし方

効果はどうなのだろうか?

一方、英語圏に目を向けると、

2006年に公開され話題となったGoogleの採用ビデオを筆頭に有名企業のものが見られる。

Google Recruiting Video

Cisco Recruiting Video

Microsoft recruiting

が、こちらもインタビューが中心の「ありがち」な内容に終わっている。

そうこうしていると、世界各国の軍隊への採用ビデオが目についた。

Military recruitment videos from around the world

よくよく考えれば、最も採用に力を入れているのは軍である。

軍人とは、言うまでもなく命がけの職業である。

しかし、広告代理店のような華やかさはなく、金融のような金銭的な報酬も期待できない。

国を守るという大義は、安全で華やかでステータスのある日常生活と比較すると、簡単にかすんでしまう。

そこで、映像による訴求が行われる。

では、何を訴求するのか?

ここに格好の比較例がある。

アメリカとスウェーデンの募集広告の比較だ

軍隊の採用映像のほとんどが戦争映画の「勇壮」なイメージをなぞっている。アメリカはその手法だ。

人間どおしが殺し合う悲惨さをヒロイズムで乗り越えようとしているのだ。

しかしながら、ヒロイズムになじめない人には、嘘くさすぎて拒絶されるだけ。

一方で、スウェーデンのものは「日常」と比較することで「安全」を訴求している。

故にもっとも軍人として求められやすい、ある種の単純な思考をする人からは共感を得られないいかもしれない。

では、どちらが有効なのか?

1)応募総数
2)応募者の年齢、学力、職業経験の傾向
3)訓練中の脱落率
4)昇進率

これらの項目において、

1)「勇壮さ」を紋切り型に高精度で表現する事が有効なのか?

2)軍人という職業が持つ本来の意味を深く掘り下げる表現が有効なのか?

これは、問題解決のために映像を作る場合、根源的な問題である。

軍隊という極限の職業に人を誘うための映像には、その極限性故に、採用ビデオが内包する様々な問題をあぶり出す力がある。

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